桃園の誓い
人物・逸話漢の皇族の末裔・劉備は黄巾の乱の義勇兵募集を見て嘆息。関羽・張飛と出会い、張飛の荘園の桃の花園で「同年同月同日に死なん」と義兄弟の契りを結んだ。三人の長い旅路が始まった。
漢の皇族の末裔・劉備は黄巾の乱の義勇兵募集を見て嘆息。関羽・張飛と出会い、張飛の荘園の桃の花園で「同年同月同日に死なん」と義兄弟の契りを結んだ。三人の長い旅路が始まった。
張角が「蒼天已死、黄天当立」を掲げ数十万の信者と反乱。曹操は潁川で、孫堅は長沙で戦功を挙げ、劉備も義勇軍を率いて参戦。張角は病死するが反乱は各地で燻り、漢の権威は決定的に失墜した。
十常侍の乱の混乱に乗じ董卓が洛陽に入城。少帝を廃して献帝を擁立し専横を極めた。曹操は七星宝刀で暗殺を企てるが失敗し逃亡。王允は打倒の機会を窺った。
反董卓連合軍が華雄に手詰まりの中、曹操に推されて関羽が名乗り出た。曹操が温めた酒を「帰ってから飲め」と渡すと、関羽はたちまち華雄の首を取り、戻った時にはまだ酒が温かかった。
呂布が赤兎馬に跨り連合軍の将を蹴散らす中、張飛が躍り出て五十合以上打ち合い、関羽が加勢、劉備も加わった「三英戦呂布」。三人がかりでようやく互角という呂布の武勇が際立つ。呂布は退却し、董卓は洛陽に火を放って長安へ遷都した。
王允は貂蝉で「連環の計」を仕掛け、董卓と呂布の仲を裂いた。鳳儀亭で関係が破綻し、呂布が董卓を刺殺した。
曹操の父・曹嵩が陶謙の部下に殺害され、曹操は報復として二度にわたり徐州を攻撃し大虐殺を行った。泗水が赤く染まった。陶謙は劉備に徐州を託して病死。
伝国璽を根拠に皇帝を僭称した袁術だったが、諸侯の総攻撃と部下の離反により瞬く間に勢力は瓦解。最期は蜂蜜入りの水を所望したが手に入らず、「袁術ともあろう者がこのざまか」と血を吐いて死んだ。袁術の領土は曹操や孫策に吸収された。
劉備と袁術の争いを呂布が仲裁。戟の枝を一矢で射抜き両軍を退かせた。
袁術から独立した孫策が周瑜と共に江東を席巻。太史慈と一騎打ちし配下に加えた。しかし許貢の食客に毒矢を射られ26歳で早世。「内事は張昭、外事は周瑜」の遺言を残した。
張繍が曹操に降伏後、叔母を寝取られて激怒し夜襲。典韋は門前に立ちはだかり双鉄戟で敵を薙ぎ倒し、武器が折れると敵兵を掴んで投げ飛ばし力尽きた。曹操は長子・曹昂と典韋を失った。
呂布を水攻めで追い詰める。陳宮の策を呂布は妻の涙に負けて不採用。高順の奮戦も虚しく部下に裏切られ捕縛。呂布の命乞いに劉備が「丁原・董卓のこと…」と一言。曹操は処刑を決断。陳宮も慰留を拒み死んだ。
白馬義従を率いて一時は河北を二分した公孫瓚だったが、界橋の戦いで袁紹に敗れて以降は防勢に回った。易京に巨大な城塞を築いて籠城するが、食料も尽き援軍も来ず、ついに家族もろとも自害して果てた。袁紹は幽州を併合し、河北四州を統一した。
曹操は劉備を酒宴に招き「天下の英雄は誰か」と問う。劉備が諸侯の名を挙げると全て一蹴し「天下の英雄は使君と操のみ」と断じた。劉備は箸を落とすが雷鳴に紛れて誤魔化した。
献帝が曹操打倒の密詔を衣帯に縫い込んで董承に託す。劉備らと密謀するが発覚し董承は処刑。劉備は事前に徐州へ脱出していた。
官渡の前哨戦。白馬で顔良が猛威を振るう中、関羽が赤兎馬で万軍の中を一騎駆けし顔良を一刀で斬った。延津では文醜が復讐に出陣するが曹操の策にかかり討死。袁紹軍は双璧を失い士気が低下した。
劉備の居場所が判明した関羽は曹操の厚遇を全て返し、漢寿亭侯の印だけを残して去った。五関で六将を斬り劉備と再会。義を貫く関羽の姿は演義のハイライト。
天下分け目の決戦。袁紹70万に対し曹操7万の寡兵。田豊・沮授の持久戦は退けられ、膠着する中で許攸が寝返り烏巣の兵糧基地の位置を明かした。曹操は自ら烏巣を急襲し焼き払い、袁紹軍は壊滅。曹操は裸足で許攸を迎えた。
官渡の大敗の後、袁紹は再起を図るが失意と血を吐く病により202年に死去。後継を巡って長男・袁譚と三男・袁尚が内紛を起こし、曹操はこれに乗じて各個撃破。207年までに袁氏は完全に滅亡し、曹操は華北四州を統一した。
徐庶から「伏龍・諸葛亮」を教えられた劉備は三度草庵を訪ね、関羽・張飛の不満をよそに雪の中も通った。諸葛亮は「天下三分之計」を披露。「水魚の交わり」と称する最高の軍師を得た。
曹操が母を人質に取り徐庶を呼び寄せた。劉備に別れを告げた徐庶は、馬上から引き返して諸葛亮を推薦。母は偽手紙を恥じて自害。以後「曹営にありて一言も発せず」と誓った。
曹操の虎豹騎に追いつかれた劉備軍。趙雲は単騎で敵中に戻り阿斗を救出。劉備は子を地面に叩きつけた。張飛は長坂橋で大喝して曹操軍を退けた。
周瑜が十万本の矢を要求。諸葛亮は霧の夜に藁人形を満載した船を曹操陣に向かわせ、矢の雨を浴びせさせて十万本以上を得た。
黄蓋が苦肉の計で偽装降伏。闞沢が密書を届けた。龐統が「連環の計」で曹操に戦艦を鎖で繋がせた。火攻めの前提条件が整った。
三国志最大のクライマックス。鎖で繋がれた曹操艦隊に黄蓋が火船で突入。諸葛亮が呼んだ東南の風が火勢を煽り、曹操の大艦隊は一夜で灰燼に帰した。三国鼎立への決定的転換点。
大敗した曹操は華容道を逃走するが関羽に待ち伏せされた。曹操の「かつての恩を忘れたか」の訴えに、関羽は義理のため見逃した。
劉表が病死すると、後妻の蔡氏と蔡瑁の策動により次男・劉琮が曹操に降伏。劉備は荊州を去らざるを得なくなり、十数万の民衆を連れて南へ撤退した。名士の一大拠点だった荊州は曹操の手に落ちた。
馬超が西涼軍で曹操に反旗を翻し、曹操は何度も命の危機に瀕した。許褚が裸で馬超と一騎打ち。最終的に賈詡の離間の計で馬超を敗走させた。
劉備の白馬「的盧」に乗っていた龐統が劉備と間違えられ集中攻撃を受けて戦死。享年36歳。
法正の内応で益州に入り劉璋を攻撃。張飛は厳顔を義で降伏させた。馬超合流で劉璋は降伏。天下三分の基盤完成。
荊州の帰属を巡り魯粛と関羽が会談。演義では関羽が大刀一本で乗り込み魯粛を圧倒。
孫権10万を張遼が800の精鋭で奇襲。孫権自身も捕虜になりかけた。以後「遼来遼来」で子供が泣き止む。甘寧は百騎で夜襲し一矢報いた。
法正の策で黄忠が夏侯淵を一刀のもとに斬った。趙雲の空営の計で曹操軍を退却させ、劉備は漢中王に即位。鶏肋のエピソード(楊修処刑)もこの時。
関羽が樊城を攻撃。大雨で漢水が氾濫し于禁の七軍が水没。于禁は降伏し関羽は「威は華夏を震わす」。しかし徐晃に反撃される。
呂蒙が白衣渡江で荊州を奇襲。糜芳・傅士仁の裏切りで退路を断たれた関羽は麦城で敗死。降伏を拒否し関平と共に斬首。首は曹操に送られ諸侯の礼で葬られた。
頭痛に苦しむ曹操は華佗に開頭手術を提案され暗殺と疑い投獄。華佗は獄死し曹操も66歳で病没。「天下はまだ定まらぬ」が遺言。子の曹丕が献帝から禅譲を受け魏を建国、400年の漢が滅亡。
曹丕の魏建国を受け劉備が蜀漢皇帝に即位。後に孫権も呉皇帝を称し、三国鼎立が完成した。
関羽の弔い合戦前に、部下への暴行を繰り返す張飛が范彊・張達に寝首を掻かれた。劉備は義弟二人を失い呉への怒りを募らせた。
関羽・張飛の仇討ちで劉備が呉に攻め込む。陸遜は半年持久した後、700里の連営に火攻め。劉備は白帝城に逃れ、翌年「我が子に才がなければ君が代われ」と諸葛亮に託して崩御。63歳。
諸葛亮が孟獲を七回捕らえて七回放ち心服させた。南方の安定により北伐への準備が整った。
北伐に際し諸葛亮が劉禅に上奏した名文。「臣、鞠躬尽力、死して後已まん」の一節は中国文学史に残る。読んで泣かなければ忠臣ではないと言われた。
馬謖が命に背き山上に布陣して張郃に大敗。王平だけが整然と撤退させた。「泣いて馬謖を斬る」——諸葛亮は自ら三階級降格した。
2500の兵で15万の魏軍を迎える諸葛亮は城門を全て開け放ち、城楼で琴を弾いた。司馬懿は「必ず伏兵がある」と全軍退却。三国志で最も有名な知略戦。
最後の北伐。司馬懿は持久戦に徹し、諸葛亮が女物の衣服で挑発しても応じない。心身をすり減らした諸葛亮は星に祈祷するが魏延の不注意で失敗し陣没。享年54歳。「死せる孔明、生ける仲達を走らす」の故事を残して蜀軍は撤退。
諸葛亮死後、魏延は撤退に反発。楊儀との確執で部下に見放され「誰か余を殺し得るか」と叫んだところ馬岱が斬った。
聡明な皇帝・曹叡が36歳で早世した。遺詔により幼帝・曹芳(8歳)の摂政を曹爽と司馬懿に託す。当初は協力関係だったが、曹爽は次第に何晏・丁謐らの側近を重用して司馬懿を排除し始めた。司馬懿は太傅(名誉職)に祭り上げられ実権を奪われていく。
曹爽が幼帝を連れて高平陵に墓参りに出た隙に、ボケた振りをしていた司馬懿がクーデター。「処刑はしない」と約束して降伏させたが直後に三族皆殺しにした。以後、魏の実権は完全に司馬氏のものとなった。
高平陵の変から2年後、司馬懿が73歳で死去。長男の司馬師が大将軍として魏の実権を引き継いだ。王凌の反乱を未然に防ぐなど、司馬師は父以上に冷徹な政治家として権力基盤を盤石にしていく。
晩年の孫権が後継者を明確にせず、皇子の孫和と孫覇が激しく対立。陸遜は太子派として進言したが孫権に詰問され憤死。多くの重臣が処刑・追放され呉は取り返しのつかないほど弱体化した。
11度にわたる北伐。費禕の暗殺後は制約が外れ大規模化。洮西の戦いなど戦術的勝利もあったが蜀の国力を疲弊させた。
司馬師は皇帝・曹芳を「暗愚」として廃位し、曹髦(14歳)を新帝に擁立した。皇帝を廃立する権力を振るう司馬氏に対し、毌丘倹・文欽が寿春で反乱を起こすが鎮圧。しかし司馬師は戦中に眼病が悪化し、弟の司馬昭に後事を託して陣中で急死した。
「司馬昭の心は路人も皆知る」——皇帝・曹髦は司馬昭の簒奪の意図を見抜き、自ら数百人の兵を率いて司馬昭の屋敷に突撃した。しかし司馬昭の部下・賈充の命で成済が曹髦を刺し殺す。皇帝が臣下に殺されるという前代未聞の事件に朝廷は震撼。司馬昭は成済に全責任を押し付けて処刑し、新帝・曹奐を擁立した。
鍾会が剣閣で姜維を釘付けにする間、鄧艾が陰平道の険路を越えて成都背後に出現。劉禅は降伏し蜀は滅亡。姜維は鍾会を唆して反乱を企てるが失敗し二人とも殺された。劉禅は洛陽で「楽不思蜀」と発言。
杜預率いる晋の大軍が「破竹の勢い」で長江を下り呉の暴君・孫皓は降伏。184年から約100年の三国時代が幕を閉じた。しかし統一後の晋は堕落し八王の乱で瞬く間に崩壊する。